桃栗柿屋ってどんな会社?

創業物語

なぜ、瓦職人として十分に食べていける私が、リフォーム会社を始めたのか

私は23歳から33歳までの10年間で、父が社長である野々村瓦店を取り仕切り、滋賀県下でトップ10に入る瓦工事店にしました。周りからも「成長株」だと言っていただきました。その過程で、民家だけでなくお寺の屋根を葺く技術や知識を身につけ、瓦職人として、そして瓦店の経営者として充実した日々を送っていました。収入も年齢の割には十分もらっていたと思います。その私がどの様ないきさつでリフォーム会社を始めたのか。

興味のない方は、読み飛ばして頂いて結構なのですが、お客さまからもよく聞かれますのでお話しておきたいと思います。

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私の父は愛知郡愛荘町の「野々村瓦店」で社長として職人の親方として、毎日屋根に上がっていました。地域の活動にも熱心で、議員として12年間勤め上げたほどです。地元ではちょっと名の知れた父でした。

私はそこの長男として生まれました。
小学生の頃の私は、地下足袋を履き真っ黒に日焼けして、屋根を葺いている父の姿を見て、「父ちゃんかっこいい!僕も屋根に上がって仕事するぞ!」と幼いながらに心に決めていました。釣竿やゲームなど欲しいものができた時には、日曜日にまず仕事を手伝いに行ってからおねだりしたのを覚えています。自分で言うのもなんですが、「お金を稼ぐ大変さ」を知っていた小学生だったと思います。

その後、高校で建築科に進もうと決めていましたが、母が、「もっと広く勉強したほうが将来のためになる」と助言してくれたこともあり、八日市高校普通科、神戸学院大学経済学部で勉強し卒業しました。そして就職先として他の瓦屋さんに修行に行きました。やはり、いきなり自分の父の会社に入ってしまうと「バカな二代目」になってしまうと考えたからです。今から思うとそれは正解でした。ただの下職人の立場だからこそ聞けた、職人さんの本音や、経営者のもらした言葉がたくさんあったからです。

父の会社に戻ってからは職人として誇りを持ち、トコトン技術習得に没頭しました。社寺建築でわからない事があった時には、日本で一番か二番と言われている京都の瓦屋さんに教えてもらいに行ったり、長野県の瓦屋さんが最先端の事をしていると聞きつけると、面識も無いのに電話をして会いに行ったりしていました。自分のしている事に自信と納得を求めていたのだと思います。

そうこう一生懸命仕事をしている内に、なぜか心の中にモヤモヤとした気持ちが生まれてきたのです。

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「果たしてお客さまの望んでいる事を、叶えてあげられているだろうか?」
「私の自己満足になっていないだろうか?」
「お客さまの本当の満足とは?」

そう思い始めると技術のみならず、車の止め方、ご近所に対する迷惑、家にいて休憩の度にお茶を出してくれる奥様のストレス、くわえタバコ、全ての基本であるあいさつ等が気になり始めました。そして少しずつ改善していくうちに次の言葉が出てきたのです。

「お客さまからすると職人だからいい仕事をするのは当たり前、その他の気遣いがあってナンボだ!建築は真心を込めたサービスだ!」

ということは、
「お客様の求める価値=工事品質×サービス×価格」だ。

なんて自分はいい事を思いついたんだ。思わず自分で自分を褒めてしまいました。後は形にするのみです。今までの習慣を変えるのは大変でしたが、これをしないと先は無いと、実行していきました。そうして少しずついい方向に進んでいく事が出来たのです。
売り上げも伸び、お客さまからも「兄ちゃん気がきくね。」「兄ちゃんの店には、いい職人さんがいるね。」と声を掛けて頂けるようになり、本当に充実感のある日々を送ることが出来ました。

そうなってくると今度は、良いのか悪いのか欲張りなのか、こんな気持ちが芽生えてきました。

「もっと人と直接触れ合う仕事がしたい。」

誤解があるといけないので付け加えますが、十分にその様に出来ていました。ただ工務店さんの下請けが7割を占めていたので、直接、私がお客さまの声を聞き、形にするには限界もありました。なぜなら、工務店さんのご意向に沿わなければならないというのが条件だったからです。良い工務店さんに恵まれていたのは間違いないのですが。

思い立ったらやらないと気がすまない私は、「よし、屋根だけじゃなくて家全体のリフォームで自分の思いをお客様に伝えよう。どこに頼んで良いのか分からないと困っている方もたくさんいた。きっとお役に立てるはずだ。実行あるのみ。」と決心したのです。

そうして、瓦店でリフォーム工事をしていくうちに、またモヤモヤとした気持ちが生まれてきました。
「もっと大勢のお客様に、私の考えたリフォームのあり方を知って欲しい。そしてもっと大勢のお客様の役に立ちたい。そうすると、瓦店の副業としてのリフォーム事業部ではなく、腹をくくってリフォーム会社として始めるしかない。」
何度も言うように、思い立ったらやらないと気がすまない私は、リフォーム会社を立ち上げる決心をしたのです。それに、リフォーム事業でもし万が一何かあっても、瓦店に迷惑をかけたくないと言う気持ちもありました。

決心したのは良いものの、ここからが本当に大変でした。親からは「何をバカな事を言い出すのだ。」と反対され、周りの人達からは「工務店さんと競合するぞ。瓦店があるのに血迷ったのか。」と言われ、友人からも「おいおい大丈夫かよ。まぁ一杯飲め。」と言われる始末でした。

しかしもう止められません。ワクワクして仕方なかったのです。滋賀県一番になるぞと意気込んで新しい会社を立ち上げてしまったのです。

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勢いは良かったのですが、それからが本当の試練でした。
「安くて、いい仕事を、真心を込めてしていれば、皆様の口コミで何とかなる」と信じていましたが、そう上手く行くものではありません。現実は厳しいものでした。何せこの時代、お客様に出会うことが至難の業なのですから。

毎日「どうすればいいのだろう。」と考え悩みました。「いっそ辞めてしまおうか。」と思ったこともありましたが、「自分の決めたことだから」と歯を食いしばりました。足を動かさなければどうしようもないと、妻と手作りで作ったチラシを、一軒一軒、配ったこともあります。
チラシを配っていると、「どこの誰が来たのか?」と怪しい目で見られる事が多いです。それに耐えられず、夕方暗くなる頃に、ポストにチラシを入れて回った事もありました。精神的には強いと自負していた私も、さすがにその頃は体重が4キロも落ちてしまいました。

こんな事もありました。やっと見積させて頂き、ありがたい事にいい感じで話が進みました。そして「来週に返事する。」と言って頂いたので期待しながら待っていたのですが、いっこうに連絡がありません。
ドキドキしながら訪問しました。そうしたら「セキスイのリフォームに頼んでしまった。」という返事です。「どうしてなのか、これからの為にお聞かせ下さい。」と尋ねると。「やっぱり大手だからかな。それだけの理由かな。」という返事です。

私は愕然としました。相手は誰もが知る日本最大級の住宅会社、こちらは個人に毛の生えた様なもの。「お客様やその家に対する気持ちではどうにもならないのか・・・。」悔しくて涙が出そうでしたが、「今は泣く時じゃない。」とこらえながら帰るしかありませんでした。
しかしその一方でこんなありがたい事がありました。
父を知っていると言うおばあちゃんが「大変だね、いっぷくしていき」と温かいお茶を出してくれたのです。何とも言えない物が、私の心にドンときました。

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その時、真剣に思いました。「こんな人の仕事がしたい、役に立ちたい」と。
悲しいことに、悪徳業者の餌食になるのはこういった優しい老人が多いのです。「なんかあったらここに電話してきて」と、紙に大きな字で電話番号を書いて帰るしか思いつきませんでした。

そのことがきっかけとなり、日々あせって、この仕事を始めるきっかけとなった「役に立ちたい」という気持を忘れ、「受注したい」という気持で動いていた自分に気づきました。
その日から、もう一度初心に帰り、お客さまと向き合おうと決心しました。
それからの私は、一人一人のご要望を一生懸命に聞き、その人の立場で考えるようになりました。そうしているうちに、少しずつ良い方向に向かい、忙しくさせて頂けるようになって来たのです。今ではご紹介も増え、軌道に乗ることが出来ました。

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しかし、今振り返ってみても、私は特別変わったことをしてきたわけじゃありません。『お客さまの生の声』から学ばせていただいた事を、コツコツやってきただけです。

こんな経験から、少しだけ、生意気なことを言います。私どもがお客さまの生の声を聞き、「頼んで良かった!」と言ってもらうことを仕事にしてきたから言える事です。

技術を知り活用する事は大切です。技術の進歩が無ければ、人類はここまで進歩しなかったでしょう。その意味で、技術はものすごく大切です。
しかし、リフォームは技術だけではダメなんです。真心がこもっていないと。だから、もっともっとたくさんの人に出会い、リフォームの素晴らしさを伝えたいと思っています。

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桃栗柿屋 代表野々村新治

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