桃栗柿屋のリフォームブログ

4月4日 東近江市で不動産なら桃栗柿屋!!

投稿日:2014.04.04

 

んにちは!代表の野々村です。
本日も致知からお送りします。

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 「道をひらく秘訣はクレームの中にあり」
永利新一(オーム乳業元社長)
『致知』2014年4月号連載「致知随想」より

 

 

 

父の後を継いで私がオーム乳業の社長に就任したのは
昭和49年、32歳の時でした。

 

それまで私は東京の外資系会計事務所に勤務。

 

 

 
いよいよ海外を舞台に一花咲かせようと意気込んでいる矢先、
先代の訃報に接し、長男ということもあって
故郷の福岡県大牟田市に帰ることになりました。

 

 

 
昭和40年代といえば、
高度成長に伴うモータリゼーションの発達や
大型店舗の誕生など流通にも大変化が起きる兆しが
見え始めていた時でした。

 

 

会計事務所時代に世界経済の動向を研究し

企業経営を手助けした感触からも、
乳業界が脱皮を余儀なくされるのを予感していました。

 

 

 
しかし、肝心の業界にはまるで危機感がありません。

 

 

 
薬代わり、母乳代わりに牛乳が重宝されて、
ことさらPRしなくても売れていた
戦後の意識を20年近く引きずっていたのです。

 

 

 

当時、牛乳宅配の主な手段は自転車かリアカーだったため、
地方のメーカーの販路はせいぜい直径5~10キロ。

 


限られたエリアでも、

固定客がいれば経営を維持できました。

 


しかし、車社会になると、

この宅配システムは一気に崩壊することが
目に見えていました。

 

 

 

しかも社会が豊かになるにつれて、
多くの種類の飲料水が流通、
牛乳の需要は確実に低下することになります。

 

 


従業員約100人を擁し、

福岡県内でも規模の大きな乳製品メーカーの
経営を預かることになった私の危機感は大変なものでした。

 

 


事実、県内に100社近くあった

中小零細の牛乳メーカーは
その後、ほとんど姿を消したのです。

 

 

やがてくる大手との競合の時代にいかに手を打つか。

 

 

それには他社にはない
新しい需要を掘り起こすことが
喫緊のテーマでした。

 

 

考えた結果、私が目を付けたのが
お客様から寄せられるクレームでした。

 


従業員が最も嫌うクレームの中にこそ

生存のヒントがあると思ったのです。

 

 

 

当時、何よりクレームが多かったのは
先代が他社に先駆けて取り組んだ生クリーム事業でした。

 

 

 

牛乳の需要が低下する冬場の売り上げを確保する目的で
開発を進めたものの、
脂肪を主成分とする生クリームは
移動中の振動で固形化してしまい、
不良品として返品されるケースが相次いでいたのです。

 

 


生クリーム製造にチャレンジしたのは

大手も一緒でしたが、
技術開発の難しさからどこも撤退していました。

 

 


「採算がとれず、クレームが絶えない生クリームは

 中止しましょう。大手ですら失敗しているのですよ」

 


多くの社員がそう進言してきました。

 

しかし私は


「冗談じゃない。これを真っ先にやるのだ」



と突っぱねました。

 

 

パン、菓子業界を中心に生クリームの需要が見込まれ、
厳しい道のりでも、品質保持に成功できれば、
全国に販路を拡大することが可能だと考えたからです。

 

 

 

 

いかがでしたでしょうか?

変化しないとダメになることを認識したくないからしない人がほとんでです。

そんな人を引っ張っていく力が時代を創っていくのでしょうね!

 

 

 

【あとがき】

新入社員の藤川が入社しました。

期待に応えてくれそうで私としては嬉しい限りです。

その藤川を引っ張っていってくれているのが、当社のエースのひとり佐藤。

 

それにしても後ろ姿がそっくりです!笑

2014-04-04 13.36.13

 

 

 

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